オペラとドイツリート



こんにちは!



久しぶりに音楽の記事にしましょうか。



ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私はドイツリートを勉強していた時期があります(もちろんピアノですよ)。
現在、イタリアの生徒さんでドイツリートの修士課程に通っている子がいて、コンサートやオーディションがあるとアドバイスを聞きにきます。


その子の音楽院での先生のお父様がイタリアでのドイツリート第一人者だったのですが、そのお父様が3〜40年前に収録したインタビューを先週テレビで放送していたので観ました。(ちなみに私はその先生とのご縁でその先のお話があります。それはまた次回に)


その時に思ったこと。


実はイタリア人、ドイツリートを真剣に取り組んだらものすごくいい演奏をできる人種なのではないかな?と。



イタリア人全てではありませんが、イタリア人の多くは話す時の言葉を通じての表現力が役者並みに豊かです。
つまり、言葉を通してレチタティーヴォできる人種。
そもそもイタリア語は非常に音楽的で、綺麗に話す方のイタリア語を聞くのは心地よいものです。この先生のインタビューでもそれをものすごく感じました。言葉の抑揚、フレージングが美しい。



ただ、イタリアはイタリアオペラが発展した国なので、声楽家の多くはドイツリートを学ぶまでもなくイタリアオペラに傾倒していった、ただそれだけのような気がします。



オペラは”話し言葉”を音に乗せて、何人もの音楽家によって大きな作品を作り上げる。
ドイツリートは、短い音楽の中で”詩人の言葉”を用いて作品中で語りかけ、世界を作り上げる。しかも歌い手とピアニスト2人だけで。



それぞれの難しさは全く異なる。
でも結果、どちらも素晴らしい。




基本的に音楽の中で歌が1番好きな私は、どちらにも魅力を感じるので両方とも携わってきた。
日本人で足りないのは語学力だとつくづく思う。


日本語は日本という国だけで使われる公用語で、他の国で日本語を生活で使う国はない。
ところが、他の国は大体自国語以外の語学を使い分けている。
これって、頭の使い方が違いますよ。
それに次いで表現力も変わってくる。
それぞれの言語では使わない言い回しや、伝え方がある。


国際人は数ヶ国語を使いこなす。
それは単に話すという必要性ではなく、その人の新たな側面をも生み出せる。
音楽をするものにとって語学はとても大切です。

オペラでイタリア語、フランス語、ドイツ語、ロシア語などなどあるように、器楽奏者も語学力をつける必要性があると思っています。その時に演奏している作曲家の言葉の抑揚など、音に出てくるからです。



話が逸れましたが、やっぱりドイツリート、いいですね。
一緒に取り組みたい!と思う歌い手さんに出会えないのが本当に残念です。



それにしても、綺麗に話せることって、本当に大事ですね。
美しい話し方を久しぶりにこの先生のインタビューで聞き、衝撃的でした。
このように話せるから、それが歌という形に乗せられるのだ、と納得させられました。



結局、オペラもドイツリートもオペラ(作品という意味)です。
唯一声楽だけにある特質の一つ、言葉が付属しているということ。
言葉と共に作品の世界観を作り上げることに変わりはありません。



こんなにダイレクトな伝達方法、他にないですよね。
だから声楽はその分奥深い。









ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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