やっている事はカバー
なんですよね〜
クラシック音楽家というのは。
ほぼ95%以上が再現芸術ですもの。
どこにその価値を見つけるか?
この記事を随分前に書こうと思ったんですがね、日本でカバー曲っていうのかな?と調べた時にかていんさんがカバー曲について書いてある記事を見つけて、書くのやめたんです。言わんとしていることが多少重なっていたもので。
では個性に関して書こうか?と思ったら、やはりこのテーマでも彼が書いていたのでやめました。
で、今回なぜカバー曲について書こうかと思ったかというと、テレビのとある新人を探す番組を見ていて思ったから。
こちらでは特にクラシック音楽家を探す番組ではないので、ポップスの歌手がほとんど。
自作はもちろんだけれどカバー曲もたまに課題として歌わないといけない時があるんです。
今年の参加者の中でこの子だ!!と私が勝手に気に入っている男の子がいて、その子がカバー曲を歌った時のこと。
カバー曲なのに、彼自身の音楽になっている。
そこだよな。
普通に上手い子は原曲の良さをそのまま高いレベルで模倣して、同じ感動を与える。
力が足りない子は原曲の良さがあまり出ずに、でも原曲はもっと良いよなあ〜と感じさせてしまう。
これが飛び抜けた才能がカバーすると、新たな別な面を発見させてくれる。
その人を通じて表現されることの重要さ。
味が変わるのだなぁ。
クラシックはとにかくカバー曲がほとんどだから、10人が10人同じ曲を演奏するというとてつもなく残酷な比べられる環境が生まれる。
といっても、往年の大家や有名な奏者の演奏は今ではネットでどこにいても聴ける。
じゃあ、自分の演奏は?
新しいことを加えた演奏なぞ期待してない。
だからといって、皆が皆同じアプローチしている演奏も期待していない。
なんだと思う?
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