レッスン



今日もいつも通り主人はレッスンしています。
かれこれ4時間半くらい?
まあ、途中休憩入っているけれど、いつもこんな感じ。


私はマンションの音出しできる時間外でなければ、止めない。
だって、気持ちわかりますから。




最近親しくなったとある先生。

レッスンに関してお話ししていたこと、全く同感だ。
一行で、または数行だけにレッスンの大半の時間を割くことがある、とのこと。
そうすると日本の親御さんたちはコンクールに入賞するにはここまでやるんですね〜と驚くらしい。




いや、それって普通よ?




日本の一般的なレッスンが基本的にサラリとしているということ、皆さん知っておいてくださいね。
「ここはもう少しきれいにまとめる感じに〜」なんていう先生がいるらしい。
この「感じに〜」という日本語の曖昧さ。
私からすると信じられないが本当らしい。
生徒と一緒に学ぶ事はしない、それが日本のふつうのレッスンです。
いや、もちろんそうじゃない先生もいるから断言ではありません。あしからず。



私も主人も、ある生徒さんにある一つのことを言い続けたことがあります。
初めてその曲をレッスンした時から一番最後のレッスンまで。
結局最後の最後まで変わりませんでした。

もうありとあらゆる理由を考えましたが、一番最初に弾いた時と同じ事は最後まで残りました。
その時初めて「ああ、変化できない人もいるんだな」と知りました。
弾き方や技術はある程度目を瞑る時がありますが、譜の読み方で明らかに違う事は直すべきです。特に子供じゃない場合。




日本のレッスンでさらっと通してちょこちょこっと言われる学び方に慣れていると、いざという時に対応ができない生徒さんを多々見かけます。

これまでについていた癖や、自分の好みや習慣的にやってきた事を削ぎ落とせない。



断捨離

っていうじゃないですか。
新たな一歩を進む時、どれだけいらないものを捨てられるか。
削ぎ落とせた分前進するかどうかが決まってくるのかも。









ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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