レッスンで







実は昨日のリサイタルでみなさんに伝えたかったことの一つが




自分を自由に放つ



ことでした。
これって特に日本の国民性や社会性から、最も難しいことの一つになっているのではないか?と思います。それが自分自身さえも気付かずに普段の「当たり前」がまるで自分の意志や考えになってしまっていることもあるように思うんですね。


まずはそこを自分に問いてみること。




本当に自分が求めている音なのか?
心から聴きたい響きは自分の知っている響きなのか?




そういういろいろな意味で、誰の真似にもならない自分のゴルトベルグを演奏したかったのです。
そんなのあり?
そこまでやっていいの?
これはピアノなの?
バッハってそんなに自由でいいの?



いろいろな疑問を聞いてくださっているみなさんに投げたかもしれませんね。
逆を言えば、私の聴きたかったバッハはこうではなかった、と思った方もいらしたかもしれません。



それら全てを受け入れようと思っています。
受け入れることは自分との違いを発見することでもあるから。



それをそのままレッスンに置き換えてみる。
その人の心のうち、思想や情熱、それらがどのようにして音として生かされて行くかを聴く。
たとえそれがまだ弾くという動作としてうまく連携していなくともわかるんですね。



頭と手が連動されていない時、それをつなげる助けをする。
また、そこにたどり着くためのアイデアを投げてみる。


いろんなタイプのレッスンが可能ですが、今日のレッスンはそこに絞って生徒さんから音を通した笑顔を引き出したように思います。ひと昔、私のレッスンは時に厳しすぎて涙する方もいらした。今でも必要ならば厳しくいう時もありますがね。




でも今1番大切にしたいのは、その人のアンテナを広げてあげることです。




人間、一人一人違うんです。
違う、と言われることを恐れず、あなたの心の声を聞いてみてください。
想いもしない響きが生まれてくるかもしれませんよ。




昨日ゴルトベルグを演奏できて楽しかったです。





ありがとうございました。





ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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