楽譜は、、、置く?置かない?




すでにご存知の方も多いと思いますが、
私はここ数年位から
演奏中は楽譜を置いて演奏するタイプ
のピアノ弾きです。




リストやクララ・シューマンの影響で
ピアノを弾くのは暗譜
という不思議な決まりができてしまってから
すでに1世紀以上。

その前までは譜面を置いて演奏するのが
普通
であったのに、なんてこった。
ショパンは譜面をおかずに演奏すると怒ったそうな。



今は亡き巨匠S.リヒテルが1974年〜楽譜を置いて公で演奏活動をするようになった。
今では、ポゴレリッチも、タローも、ルイサダも、ラン・ランでさえ楽譜を置く時がある。



良いんじゃない?



今年の冬来日が決まっているツィメルマン、
いつだったかドビュッシーの演奏で楽譜を置いて演奏したことに対して
日本人は「準備が十分できなくて暗譜できなかったのかなー?」
などと判断したそうだけど、
それは違うんじゃない?



上記に挙げた世界的な一流ピアニストたちが仮に楽譜を置いて演奏してたとする。
でもね、覚えていないから見る、ではないんですよ。


私の感覚からすると一言
覚えていますよ。


楽譜を見ないと弾けないというレベルで
譜面台に楽譜置いて演奏している
だなんてことは一切ないです。


目を閉じてでも弾けるくらい、暗闇でも弾けるくらい
万全に準備しているんです。


楽譜を置くことは暗譜ができないから
ではないんですよ。
タローもはっきり言ってますね、
余分なプレッシャーを除くため、と。



暗譜で演奏するために練習時間をかけるという
別のところに最終目標を立てて演奏するのではなく
余分な精神的な脅迫から解放されて演奏する。




もちろん、楽譜を見ていると演奏できない、
手元を見ないと弾きにくい
という方もいらっしゃるから
それはそれで良いと思います。




でも、
楽譜を置いて演奏している=準備不足
という方式は頭の中から取り除いて
演奏そのものに耳を傾けてみてくださいね。




↑手書きの楽譜、こちらは読みやすい方。

ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

0コメント

  • 1000 / 1000