1897-1907



こんにちは。
音楽家の純子マッサーリア
Junko Massagliaです。



今日、本棚の整理をしていて出てきた楽譜。
1897〜1907年の間に出版された楽譜です。


その頃のイタリアはまだ外国人の名前をイタリア語で表記していたので
ご覧の通りフェデリーコ・フランチェスコ・ショパンになっています。



この校訂版を担当しているのが
ベニャミーノ・チェーズィです。
彼はイタリア・ナポリでイタリアンピアニズムを確立した一人です。



そしてその前には、彼はロシアへ長年滞在し、
ロシアでイタリアンピアニズムを広げました。
これはあまり知られていませんが、
そういう意味でロシアンピアニズムとイタリアンピアニズムは
とても共通点が多く、似ているのです。



今でこそさまざまな校訂版が出版され
学習者は選び放題です。
でもこの楽譜、ちょっと見てみてください。



ペダルの記法がまるで打楽器みたいで、そして、最小限である!
またここではあまり分かりにくいのですが、
運指法がものすごく興味深いです。


ただ単に書いてある指遣いをしても「あれ?」って思うくらいですが
これが楽譜を読むことでものすごく学ぶことがたくさんあります。


現代の「時短」「効率化」「簡易化」は
この楽譜では得られません。



ですが、ここに書かれていることを“理解して”“表現”に繋げると
なーるほど〜〜
と感心するばかりです。


先日レッスンした生徒さんとも楽譜のことでいろいろ話しました。
レッスンで3種類の楽譜と睨めっこして楽しかったです。
そして今日はその生徒さんから楽譜の写真が送られてきて
ここはどうしようか迷っています〜というご連絡。



こういうレベル内容になると
表現力もしっかりと付いていきます。
そこに「気づく」こと自体がそのレベルに達している、ということなのです。



逆に、意外とプロとして活躍されている人が
気づかずに使っている指遣いでこちらが唖然とさせられる時もあります。
「そんな素人的な指遣いで弾いてるの?」って。
音が容易に弾けるためだけではなく、その指遣いで出てくる表現が
「ナンセンス」なのか
「センス」につながっているのか
そこに達しないと表現力につながらないですからね。




楽譜という紙から得られる学びは
音楽家の宝です。




だからDLのコピー紙でレッスンに来る人、
私の感覚からすると
そこまで読まない人、読めない人、なんでしょうね。





もっともっと学ぼう!










ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

0コメント

  • 1000 / 1000