読譜アイデアから生まれる音




こんにちは。

音楽家の純子マッサーリア

Junko Massagliaです。



今週末にはモーツァルトマラソンフェスティヴァルに出演予定の私ですが。



如何にもこうにも疑問なことがあって、普段あまり参考にしないYouTubeで探しまくりました。

モーツァルトというだけで、なぜ90%くらいのピアニスト達は8分音符をスタッカート扱いのように”切る”のか。

スタッカートをほしい時はモーツァルトがそう書いて示してくれているのに、なぜ書いていないところまで切るのか?



ことどとく著名ピアニストでもほぼ90%が切って弾いている。


そんな中ついに!その箇所を私と同じように演奏していたピアニストを3人発見。

Sir.アンドラーシュ・シフとマリア・ジョアン・ピリス、そしてイングリッド・ヘブラーの3人。

知ってみたら、なんとなく納得。

このお三方と同じような考えを、聞き方を自分はするのだな、とも思いました。


もちろんのことながら全て同じではないですよ。

でも、曲全体に充満する8分音符のある形でなぜか皆さんスタッカートする。

単に私が研究している楽譜の種類が少なくて見落としているのか?

いや、そうじゃない。



ご存知の通りこのお三方はモーツァルトだけではなく、あらゆる作品の演奏でとても独自の考えが音楽に反映される大家であります。

なので、ファンのタイプも結構好き嫌いが分かれるのではないかな?と思います。


つまり、私もそういう傾向のピアニストだ、ということになります。


そんな私ですが、聴衆の皆さんには気づかないであろう部分で、演奏の修正を始めました。

これがなかなかやりがいがあります、、、どこまで身につくかな?



↑ 主人の練習ピアノ。

彼はピアノを弾くときに指輪を外し、水晶クラスターの上に置きます(私は指輪もブレスレットもつけたまま)。

そのすぐ近くには、何十年とずーっと使い続けている練習用の消しゴム、鉛筆、色鉛筆がいつもあります。指輪と大きさを比べるとどれだけ小さいかがお分かりになると思います。

ここまで使い切るんだ、職人的だな、、、なんて思うのは私だけですかね。


結局、演奏ってその人の思考やこだわり、見解、構築力、耳、ほかいろいろな感覚が全て反映して音になるんですね。

だから自己を持っている奏者の演奏は、何を聞いても興味深いのです。



つい先週だったかな、ブッフビンダーというベートーヴェン弾きで有名なピアニストが、モーツァルトのコンチェルトを弾き振りで3曲連続で演奏したコンサートをテレビで見ました。

モーツァルトとしてどう?と思うことはてんこ盛り、テンポの不安定さ、弾き振りと言っていながらも全然指揮降ってないからオーケストラもハラハラ、聞いているこっちも落ち着かない、と不満タラタラではありました。


でも!興味深い演奏でした。



ベートーヴェンを弾くに当たってフレージングごとにテンポは微妙に変化するべき、という名言がありますが、これをモーツァルトでやるとこうなるのか?と思わせるような自由さ。

時に「ここはこれじゃベートーヴェンそのものだよな、、、」と思わせる部分もあったりしましたが、それらがやけにオリジナルで面白く聞きました。


やはりね、クラシック音楽は個人が「演奏に垣間見れる」と何十倍も面白くなると私は思うのです。

だから、ただ速くて正確で、揺れない演奏には心動かされません。

教科書を間違えずにすらすら読めるだけでは、関心はしても感動はしないのと同じです。



今回のモーツァルトが終わったら自分としてはブラームスをやりたいのですが、出来ないかな、、、、、

ブラームスは曲にもよりますが、演奏する場所と聴衆を選んでしまうから。



まあ、今はモーツァルトに集中しよう。

ではまた!




ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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