時代を間違えた




こんにちは。

音楽家の純子マッサーリア

Junko Massagliaです。




数日前になんとか退院しました。

最後の数日は病室にあるテレビをつけることで時間潰しが出来ました。



そこで昔の歌を懐かしむ番組があり、映像によっては1960年台の白黒ものもたくさん。

それを見ていて思ったのは、昔のアーティストって今のアーティストと全く異なるな、ということ。歌謡曲であろうとロックであろうとカンツォーネであろうと、そのアーティストが曲の中に生きている。


一人一人、声を聞くだけでも誰だかわかる、歌い回しでここまで芸術的になるのか?というほど。

個々のアーティストの特徴が曲に宿っている。

なんという芸術性。

味がある。

空気がある。

思わず耳を傾けずにいられないその存在感は、今の優秀なアーティスト(と呼ぼう)がカバー曲で歌うとなんとも味の無い珍毛な作品と化す。



アーティストであるが故のその人でなければならない演奏の、なんと魅力的なことか。

反して、最近の歌手は何人聴いてもそう変わりがない。いいリズム、ノリの良さ、同じ性質の声、卓越したダンス、動きのパフォーマンスの方に目が惹かれる。

音楽は、二の次。



クラシック階も全く同じに思える。

技術的に問題のある若手は世に出てこない。

デジタルか?と思う速さの応酬。

かっちりしたタイプライターのようなリズム。

まるでスポーツで秒を競うかのよう。

似たり寄ったりの、同じ表現力。

オリジナル性を見つけるのが難しい。


いわゆる『時短』なの??と思わせる無駄を省いた音色。

インスタントな音の羅列。







私は、時代を間違えたかな、と思う。

一度、コンクールの審査員に言われたことがある、

『あなたの演奏は1930年代の演奏、今の時代の演奏を見習ったらどうですか?まあ、それをあなたがするとは思えませんがね』

これでもかという皮肉を言われた。

でも私は、逆に嬉しかった。

1930年代の演奏家って、誰しもが黄金時代のアーティストだった時代。

もし私がそれだというのならば、その方がよっぽど嬉しい。



退院してまだ日もたたないけれど、明々後日にはイタリアでコンサートがある。

毎回退院後に私の演奏は変わる。

今回もそれを感じる。





勝手で言いたい放題ですね。

こんなこと言っちゃうから今の時代に私は”乗れない”のだとしみじみ思う。

でも、思いっきり、私の感じるままの演奏をしてくるつもりであります。

時代が違ってもいい、無機質で無味な演奏をするつもりは微塵もない。




どんどん演奏する可能性が薄くなっていく。

日本で今回演奏できるかどうかわからなくなってきた今の私。




いや、

わからない。最後まで。諦めない。







ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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