時〜色褪せる
時は、人間界を横目にもせずに容赦なく流れる。
今朝、写真の八百屋さんへ行った時のこと。
イタリアではこのコロナ禍、小売店は最大2名までしかお店に同時に入店できない。
外で自分の順番を待ち、前のお客様が出て行った後に買い物をしていると、一人の老人男性が入ってきた。
片手にメモを持ちながら、必要なものを店の女主人に見せて調達していた。
彼の方が先に買い物が済んだのでレジに並び会計を済ませていた。
最初は気づかなかったのですが、あれ?どこかで見たことのある方だなあ、、、と思いマスクで隠れているお顔を拝見すると、ご近所に住んでいる作曲家のD先生ではないですか?
驚かせないように「もしかして、D先生ですか?」と話しかけるとやはり彼だった。
彼と仕事をしたのは数年前に遡り、しかもその時の私は彼にとってはブルーナ(髪の毛が濃い色の女性)のロングヘアーだったから、今の金髪ショートヘアーの私を認識していないようにうかがえた。
「マッサーリアです、ピアニストの」というと彼の眼が一瞬キラキラとして思い出したかのようだった。
ほんの短い時間でしたがお話をして彼は帰宅されました。
定かではないけれど、少し認知症が入っているのかな?と思えた。ご自分でも少し経つと覚えていないんだ、とお話の中でも言われていた。
時は気づかないうちに経っている。
彼は前衛的な作品を書く、非常に頭の冴えている方だった。ダッラピッコラやストラヴィンスキーと学んだ方で、その話の切れ味の良さは止められないくらいいつも的を得ていた。
きっと彼の最後のCDとなったであろう作品集の中で、私はピアノ曲を弾かせていただいた。
でも、あの時の鋭い眼の輝きは今日はうかがえなかった。
コロナ禍で高齢者たちは動きを抑制され、さまざまな面で身体に影響していく。
この1年半、どれだけの影響を、どれだけの高齢者に影を落としていっただろうか。
コロナという見えない恐怖、時という見えない流れがこの1年半で世界中を変えたことは事実です。
ワクチンも、できることなら摂取しないで済むのが理想です。
でもこちら欧州では、これをしない限り動きが制限される。
私も主人も、今週ワクチン摂取になります。
どうなるかな。
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