年々



似てきた。



誰に?



母に。



やる事が。




去年髪をショートにしてからというもの、いろいろな面で「これって、母が私の年齢の時にやってたなぁ、、、?」と。



母は一時期今の私のように金髪だった。
そもそも母が金髪になるまでは経緯がある。
私は学生の頃に大胆な金髪のメッシュを入れていた。あの頃はメッシュを入れるなんて、ヤンキーかちょい悪の若者位。
私のメッシュを見た母は、大変それが気に入ったらしく、しばらくすると母もメッシュを沢山入れていました。
そして、その後からみるみる間に母の髪の毛がカラフルに変化していきました。
一時期レインボー🌈のように様々な色が入った髪型にまでなっていました。
母がパスポートを作る際、パスポートセンターの方に「本当にこの髪の毛の色で良いですか?」と質問されたほど😅


そんな金髪の母がイタリアに来た時。
大きなサングラスをかけ、真っ白なビッグシャツにヒューシャピンクのパンツを履き颯爽とイタリアの街中を歩いている姿は、日本人に見えませんでした。

サングラスも私を知っている人はわかると思いますが、サングラス無しで外出することは滅多にありません。
日本にいる時からサングラスは私の一部だったと言えます。

いつのまにか母もサングラスコレクションと言えるほど、いろいろな色のサングラスを日常的に身につけていました。


シルクも。
寝巻きはシルク!にこだわったのも私が最初。そしてそのうちに、母もさまざまなものでシルク製品を手にとるようになりました。



こうして書いてみると、最初は私が母に影響を与えたのかもしれませんね。


でも今思うのは、行動が似てきたこと。
ショートヘアーにして1年が過ぎ、最近は自分で気になる部分をチョキチョキ切るようになりました。
これは母がしていたことです。

母がカラフルな髪色を辞めた頃から、自分の髪が気になるとすぐさまその場で切っていたのを覚えています。
私も7月上旬に久し振りに美容院で切ってきたのですが、先週、その切った髪をさらに自分で切りました😅
自分の納得するように手を加える。

これはまさしく母のする行動の特徴です。


ふと、自分で気がつくと思わずププッと笑いが。



似てきてるよ〜





ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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