社交


正直、自分は社交的ではないと思う。
主人も同じく。



私たちは基本的に人の中に入ることをあまり好まない。
二人共が一匹狼系である。



そんな私たちですが、今日は本当に珍しくハイキングに行きました。
主人の大昔の同門下生(現在70歳近い)の奥様と娘さんの3人、そして私たちの計5人で!



いつもは自分達だけで山に行ったりするのですが、こういうピクニック的な感じは初めて。
あちらの奥様はブラジル人の方で、一緒にいること、テーブルに用意された数々の彼女の手料理、ご主人と娘さん(30歳)と一緒にいるその空間が言葉にできない温かさを感じた。
クーラーボックスから次々と出された料理を見て、食べて、ふと涙が出そうになった。

母になるために生まれてきた、女性として家族を保つために生きてきた、ご主人のために、子供たちのためにいるその彼女の存在が、言葉にならない聖母のような包まれる空気を持っていた。



そして食後に森の中をみなで散歩をし、緑の中の空気をいただき、噴水に水の恵みをいただく。



久しぶりに社交も時には必要だな、と思った。
こんなに素敵な気持ちを人といることで味わうとは思いもしなかった。



素朴で、自然な、欲のない、人間としての在り方を学ばせてもらった気がします。



芸術家は社会から独立してしまうことが一般人よりも多いと思う。
というより、孤独であるが故に生み出される芸術は多い。


基本的に人と交じり合わずにいることを愛しているし、寂しいと思うこともほとんどない。
でも、たまに今日のような過ごし方も素敵だな、と心から思いました。




ありがとう🙏






ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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