ファン


私はこの何十年レッスンを受講していない。
そしてこの何十年日本人の方を対象にする主人のレッスンで通訳をし、そこで自分自身が学ばせてもらっています。



これってかけがえのない宝物です。
自分で弾いていなくても、その背景を、思考を、世界を共有できる。


そして誰よりも主人の音楽のファンであり、音楽の理解者でもあるといえるでしょう。



でもだからと言って演奏が主人と似ているか?というとこれは全く別物です。
選ぶ曲のレパートリーも、表現も、使う音色も、感覚も、全く異なります。
通訳をしているときは、彼の意図を屈折せずに、私の考えを通訳に入れることはありません。
日本語にすることによってわかりやすく伝えることはありますが、本来の彼の理解や解釈には口を出しません。



また、彼がイタリア人を相手にイタリア語でレッスンしている内容を聴講することもほぼありません。
レッスンをしている間はとにかく中に入らない。これが私の中でのモットーです。
イタリア語でレッスンを受ける日本人の間にも入る気はありません。
自分が自分の言葉の中で理解することを大事にしてもらいたいからです。
でも、わからないときは通訳を頼むのが一番です。

なかなか難しいですね。



今日も彼はグランドピアノのある部屋でレッスン中です。
レッスンを受けられる生徒さんが羨ましいです。



もし自分がイタリアではなく別の国に留学をしていたら、どんな人生になってたかな?とたまに考える時があります。
でも、ありえないか。







ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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