ブーニン氏との思い出



ここ数日、某テレビ局が制作したピアニストS.ブーニン氏のドキュメンタリーが放送されたことで、Twitterなどで彼の名前がヒットしているとか。


そうか、ブーニン氏を知らない年代が今の現役学生さんたちに当たるんでしょうね。今の学生さんはショパンコンクールといえばついこの間の入賞者の方が印象強いのでしょう。



ブーニン氏といえば、第11回ショパン国際ピアノコンクールでの覇者。
その模様が放送されて日本で大ブームになったソビエト連邦時代のピアニストです。
今や56歳だとか。時の経つのは早いものです。その間、日本人女性と結婚、お子様もピアノを弾く青年となったそう。



そのブーニン氏。まだご結婚されていなく、マネジャーのようについていらしたお母様がいつも彼の現れるところにいた時代に遡りましょう。



私がまだ学生だったある日、突然通達が来ました。
「ブーニン氏のレッスンを受けるように」と。


まだ彼がショパン弾きとして世界中を回っていた時期だったと思います。偶然試験でショパンエチュードを弾いたばかりだったために、ショパンをその時に勉強している人ということで指名されました。


私はその頃からちょっと変わっていたのかもしれません。
先生、大先生、大ピアニストに言われても、自分で納得しないことは譲らなかったのですね。


いざブーニン氏のレッスンになりました。
公開レッスンで彼はとても穏やかな表情で「さあ、演奏してください」と私に言いました。
私はショパンエチュードを2曲続けて演奏し、弾き終わって彼の方を見るとどこか険しい表情。
1曲目の解釈がどうやら彼の考えと異なっていた様子。
とりあえずレッスンが始まり、ここはこうだ、あそこはああだ、、、と彼の指摘が続き、私は思わず
「私はあなたのように考えないし、そのようには思えない。だからこの部分は〜のように弾く」と生意気に楽譜を指差し説明して口答えしたのです。


まさかの公開レッスン中だというのに、ブーニン氏と私の根比べのようになり、喧嘩スレスレ!
それを観ていた教授たちは終了後に平謝り。私からしたら謝ってもらおうなんてちっとも思っていなかった。
一人の音楽家として、芸術家として意見を交わしただけだ。
なぜ謝る???





一年後

またもやブーニン氏のレッスンを受講する羽目になる。
私はある日最後のレッスン生だった。
彼は一日中のレッスンにある意味疲れ切っていた。それは観てわかるほどだった。


それでも仕事としてやらなければならないので私のレッスンを開始した。
もちろんその前の年のことなんて覚えていなかっただろう。
ブーニン氏:「なんの曲を聴かせてくれますか?」
私:「バッハのパルティータを聴いていただこうかと」
ブーニン氏:「ワオ❣️バッハ⁉️イイネー(片言の日本語で仰ったのをよく覚えてます)それは楽しみだ❣️」
とそれまでの疲れが一瞬で溶けたように彼は生き生きしました。
そして私にこう言いました
ブーニン氏:「みんなショパンやリストばかりしか持ってこないんだ。あなたたちがよく“弾ける”のはよくわかるが、
音の羅列はもううんざりだよ。だから君がバッハを僕と一緒に学ぼうとしてくれたことは本当に嬉しい❣️」と。



この時のレッスンは前年とは打って変わって興味深い内容でした。そして二人してバッハについて音を通して共感することが多々あり、万が一別の解釈をお互いが出したとしても、それらを一つの見方として共有することができる素晴らしい時間でした。
彼はところどころで「これはコンサートピアニストだけの秘密だよ」と言っていくつかのことを教えてくれました。
そしてレッスン終了後に「また一緒に学びましょう」と言ってくださった。
それは残念ながら実現しなかったけれど、一音楽家・一芸術家同士として有意義なディスカッションをできたその1時間は今思うと宝である。


芸術は嗜好品の一つだと思っている。なのでその人の演奏を万人が好むということはほぼあり得ない。
私に関しては、日本にいる時は日本のお偉い先生方に散々煙たがれた記憶がある。逆に、海外からいらっしゃる先生方には目をかけていただいた記憶が多々ある。日本人と西洋人の私に対する評価は割れた。とあるコンクールでは審議会で日本指導者と海外指導者で意見が真っ二つに分かれて、一位ならぬ二位となったこともある。



何が言いたいかというと、自分の音楽を持ち続けること。指導者に言われた通りに全てそのまま弾く必要などないと思う。まずは自分の意見を聞いてもらうこと、そうすると大抵の芸術家は否定することはあまりない。否定ではなく意見を伝えてくれる。
それをすることでさらに理解度や解読度、表現の幅がついていくものではないだろうか?



話は逸れたが、私自身も大病や身体の不自由を経験して今に在る。なのでブーニン氏がとてつもない大きな試練を乗り越えたその勇気はある程度わかるかもしれない。
彼が再びステージに現れ独自の芸術を披露してくれる日を心から祈っています。








ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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