落ちこぼれ



イタリアへ渡り、自分は「落ちこぼれ」だ、と感じました。
世界を股にかけ本物としてやっていく器なんて自分にはないな、って。




それが逆に良かったんだと今は思います。
開き直れた。




私の周りにはすごい期待の若者たちが何人もいた。



ブゾーニ国際
エリザベート国際
ルービンシュタイン国際
リスト国際
ダブリン国際
ショパン国際
チャイコフスキー国際
ヴァン・クライバーン国際


その他。
国際コンクール連盟の世界規模のコンクール覇者や入賞者が同級生にゾロゾロいた。
その後日本でも有名になったピアニストも沢山いる。
月に何度か個人レッスン外のセミナーで、上記の覇者たちが著名音楽家のレッスンを受けていた。


なんというか、レベルが違うんだな。


本当にこの人があの人?と思う時もあった。
ショパン国際ピアノコンクールで上位入賞した人でも、モーツァルトのピアノ協奏曲などで意外な面を見せたりしていたな。

かと思えば、まだその時は子供だったけれど、数年後に上記の国際コンクールで優勝していた子もいた。




自分はその時はっきりと自覚していた。
私には彼らのように準備ができていない。
最初のスタートラインがすでに別物なのだ。
夢は見ない。
現実の自分と向き合うのみ。







全く彼らとは別次元で「落ちこぼれ」であっても、私の中でプレッシャーや卑下は一切なかった。
その現実を知ることが何よりも救いだった。




続きはまた別に書こう。

歴史は私たち後世次第で何世紀もその存在を見せてくれる。
自分は、どうだろうか?










ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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