掴む



なんですかね。




私の人生、あの時!という瞬間がありました。実際に具体的には何がどうなるか予測不可能でしたが、とにかく直感を信じて動きました。




その時点で持っていたもの全てを捨てて、切り離し、全くのゼロ出発をしました。



日本の仕事は困るどころか有り余るほどあった。
ある程度の地位もあった。
交際相手も困ってなかった。
自分で動かなくても、全てあちらからやってきた。
仕事もお金も名声も人間関係も。




それら全てを断ち切って、言葉も勉強していない外国へ2週間後には降り立っていた。



滞在ビザとか2週間でよく出たな、、、と今ではその幸運に驚いているけれど、それも運だ。




いきなり外国へ行き、学校も先生も決まっていない破茶滅茶留学生だった。





親友に助けられ幾つかの学校の入試情報を得て、受験準備した。
一つは滑り止め、もう一つは怖いもの知らずといえば正しかった。
でも、年齢制限ギリギリだったことが私を動かした。




やらないで後から言い訳するより、挑戦してやってみてダメだったら納得する。悔いは残らないだろう、と。





イタリアの学校なのにフランスのパリまでオーディションに行く。
そこには世界中から我こそは!というピアニスト達がいた。




後先のことはその時に考えればいい。
今ここでその瞬間を逃さない。




ただただこれだけで私は自分を世界の中に放り投げた。







わからないものです。
やるまでは絶対にそんなの無理だ、って思ってた。
でも動いたら道が開けた。






合格。








2ヶ月後、世界中の一流ピアニストを目指す若者の中で、世界を見た。




続きはまた別の機会に。





↑いつの間に真っ白な花になっていた。数日前(4/16の記事掲載)は黄色だったというのに。






ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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