追伸:ラフ3といえば



追伸として書くことではないけれど、
ラフ3といったら



ウラディミール・ホロヴィッツ


だ。




なんていったって、ラフ3はこの人無きにしてここまで有名にならなかった。



ホロヴィッツがラフマフノフ作曲家自身と2台ピアノでこの曲を弾き、
ラフマニノフ自身より「この曲はあなたが弾くために作られたようなものだ」
と言わさせたある物が在る。



正直、現代の技術からしたらホロヴィッツのそれ(技術)は
実はそれほど「特別」ではなかったという気がしなくもない。


ただ、彼にはどんな技術を使おうが、
どんなに他の人がやらないことをしようが、
音楽の底辺に流れる自然の技術があった。
あれほどのことを「自然」に音楽として流せるのは
他にいないだろう。

狙って作り上げた物では、ああいう演奏にはならない。


そこが何よりも他のピアニストたちと一線を引いたところだと思う。



プロコフィエフの戦争ソナタ7を聴いてみたらわかる、
彼(ホロヴィッツ)の演奏するテンポは速くない。
この曲もホロヴィッツが演奏したことで大流行した、といっても過言ではない。
そして今は弾けることを示すために多くの若手が弾く。
それらはめちゃくちゃ、速い。



速い=躍動感=生命力
というより
速い=スリル感=スゲ〜
っていう競争に聞こえる演奏に変化している。




キーシン氏がその点で外れていかなかったことに
ものすごい敬意を払いたい。



現代の変化や進化を否定しているわけではない。

ただ、音楽はあくまでも音楽という脈が在ることを忘れてはならない、
と思う。







ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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