オペラ「蝶々夫人」プッチーニ
こんにちは。
音楽家の純子マッサーリア
Junko Massagliaです。
朝食後にふとテレビをつけたら
プッチーニ作曲の「蝶々夫人」が目に飛び込んできた。
ヴェローナのアレーナ野外劇場での録画。
蝶々夫人にフィオレンツァ・チェドリン。
印象的だったのは衣装。
映画監督黒澤さんの映画で衣装担当をしていた方がオペラで担当。
納得する衣装。
なぜって、オペラの蝶々夫人ではとにかく日本人からすると
ありえない、、、
という衣装が多いから。
下手したら、蝶々さんが着物を右前で着ていて、
切腹前から死人扱いだ。
そして日本という東洋と中国、韓国がごっちゃ混ぜの舞台のなんと多いことか。
それにしても衣装だけではなくって
この「蝶々夫人」は泣けました🥺😢😭
アメリカ兵であるピンカートンの歌いっぷりが
まさしく外国兵が別の国で軽い気持ちから過ちを侵すような
そういうチャラ男らしさがよく出ていた。
そして、15歳である蝶々さん(チェドリンはめちゃ恰幅良かったけど)の演技がこれまた良かった。
スズキの助演も素晴らしかった。
一幕の終わり。
蝶々さんとピンカートンの愛の二重唱は
現在の感覚で見ると「なんだよ、ピンカートンはただの少女好きなオヤジかい」
と思わせる。
だって「あの愛らしい蝶々さんが語るだけで、僕は熱くなる」なんて言うんだもの。
蝶々さんは15歳で疑う術もなく彼の誘惑に堕ちる。
そして二幕になり、ひたすらピンカートンを待ち続け苦しむ蝶々夫人、
ここでは蝶々さんではなくすでに母となり蝶々夫人18歳になっているのであります。
そこでの彼女の感情の浮き沈みが素晴らしい。
なんと言ってもね、オペラはやはり台本がものを言う。
音楽はもちろんだけれど、
台本の言葉と音楽がこうも完成度高く一体化すると
オペラという舞台総合芸術の偉大さが伝わる。
これってさ、外国語として歌っているんじゃやはり違うんだよね。
外国映画を日本語字幕で見るようなダイレクト感のない理解。
最近偶然にしてオペラをテレビで見ることが多いけれど
自分の母国語のように理解しながら見て、聞くと、
オペラの面白さが何倍にもなるのね。
ヴェルディはまた違うけれどね。
プッチーニって、やはりヴェリズモって=真実的なのだ。
それにしてもさ、衣装がとにかく全ての登場人物で素晴らしかったんだけど
やっぱりね、西洋人の顔に日本髪のかつら、着物、というのは
笑っちゃうほど
似合わないんだよね🥹😅😂🤣
顔の骨格と頭の形がさ
やはり東洋人と西洋人じゃ違うのよ。
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