演奏活動の盛んな国🇯🇵日本
こんにちは。
音楽家の純子マッサーリア
Junko Massagliaです。
こちらヨーロッパに住んでいると、よく日本の方々に聞かれること。
『イタリアでコンサート活動されているんですか?』
と。
まあ、そういうわけですね。
ただ日本と比べると全くコンサートの運営システムは異なります。
日本って、兎にも角にも、どこでも、誰でもコンサートができる国なんです。
本当です。
自主コンサートの多いことったら、皆さんもよくご存知かと思います。
まずホールそのものが貸しホールであることが当たり前なので、誰でもお金さえ払えばホールを確保し、赤字になるか黒字になるかは別としてコンサートは開催可能です。
つまり、どこの町でもホールという名のつく場所はコンサートが開催されるので、例えばですが東京だけをみても1日で幾つのコンサートがあることか。
この数は数え切れない(数え切れるはずもない)ので、文化庁が出したある統計から数字で見てみると、クラシックコンサートは年間4000以上だそう。しかも、これは公に知られているコンサートでこの数ですよ(オーケストラとかも全て含みます)。
いい意味で、このように演奏する機会が異常なほど多い国日本は、音楽再現性レベルの高さが並みではないわけです。正直、ヨーロッパのどの国よりもその「基礎力」を備えて成長している人が多いと思われます。
なので、大抵の音楽留学生はヨーロッパに来ると現地の人よりも優秀なことが多いです。
ところが、優秀な成績で卒業したにも関わらず演奏機会を得ることなく日本へ帰る留学生、これもまたほぼ90%以上の学生がその道を辿ることになると思われます。
なぜか?
先ほども書きましたが、基礎力の高い日本人ですが、応用力とオリジナル性、創造性が過度に弱いことも事実です。
この間行ったこちらで企画しているコンサート、若手二人が出演しました。
そのうちの一人はまだ10代で、正直言って基礎力が弱い。
でも、圧倒的な持っている”音”と”感性”が日本人には見られない、それはそれは目を見張る物がありました。そして聴衆もそれを最初の一音で察しますから、すごいですよね。
そう、聴く側も然りです。
単に間違えずにそれらしく弾く演奏を日本でよく耳にしますが、そういう演奏ではこちらヨーロッパ人はただパチパチ拍手するだけ。すぐに次の話題へ話がすり替わります。
それは聞いている人が専門ではない人でもです。
耳が肥えてる。
何かを与える演奏でない限り、単に「お上手でした」で終わってしまうのが通常です。
日本はどちらかというと、綺麗に演奏してくれる演奏家の方が仕事があり、あちこちで演奏しています。
外国人の演奏家であればちょっと個性的だったり、オリジナリティを感じる演奏も好まれますが、『日本人』がそれをするとどうも受け入れられない。
頭硬いよ、日本人。
聞き慣れている演奏しか判断できない。
はみ出さない演奏じゃないと受け入れない。
算数的にあっている演奏でないと文句言う。
それって、本当に西洋音楽かな?
本当は、もっとさまざまなはずなのですが。
と言う自分は生粋(自分で言ってる)の日本人です。苗字は外人でもね。
DNAのどこかで日本的なキッチリしたい感覚ももちろんあるわけです。
ただ、自分のやっていることって何?って思った時、日本の伝統のものではないんだよな、と思う時があります。
そして自分の感覚はあまり日本的でないのも知っているので、私は表現の自由を大切にしています。
だから日本の外が性に合っているのでしょう。
人生の半分以上が既にイタリアとなりました。
なので、私にとって日本での演奏活動って、とても特殊に感じます。
でもせっかくなので、自主企画でやらせてもらいますね。
気楽に。
ワンマンライブ、と言いたいところですが、今回(8月31日)はジョイントで応援コンサートです。
お相手は、それこそ地方で演奏機会を作ることが困難な方をお招きしております。
だからこそ、多くの方に聞いていただきたい。
そう思ってやみません。
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