ショパンの練習曲って?
こんにちは。
音楽家の純子マッサーリア
Junko Massagliaです。
先日、日本に1ヶ月弱滞在していた主人がイタリアへ帰国しました。
彼が日本にいるときは、私は徹底して通訳として努めます。
日本に来てすぐの2日後、中部地方へのマスタークラスのため長距離ドライブで向かいました。
ご想像できるかと思われますが、日本では私がどこへ行くにも運転手になります。ちなみにイタリアではその反対です。
横浜から名古屋への長距離ドライブ中、いくつかのCDを車に積んで、眠たくなりそうな時に聞くようにしました。
その中の一枚、ショパンの練習曲全曲集(作品10、作品25、新たな3つの練習曲)。これが衝撃的でした。
ここでいうまでもないのですが、すでにお亡くなりになっているピアニストです。片目の視力を幼少期に失いながらもご活躍された方。
こういうのが、音楽だよね。
その一言に尽きました。
最近よく耳にするショパンの練習曲、『速い』ことが基本にある気がしてなりません。
音楽は、そこにはない。
強い弱いの”強弱”
速い遅いの”速度”
最近の評価基準は、本当に面白くない。
それはただの”練習曲”で、ショパンの芸術から遠ざかる。
先日のSTUDIO CONCERTO で私も演奏しました。私の演奏する練習曲は、
きっと現代の評価基準では文句つけ放題でしょうね。
でも私はそれでいい。
私には私の音楽がある、から。
それともう一つ、綺麗なだけの演奏は五万とある。
このCDピアニストもちょこちょこと小さなミスをする。でもコルトーの演奏でもあるように、音楽そのものは決して間違えない。それでいいと私は思います。
日本にいてうんざりすることは、とにかく音が多すぎること。
街へ出ると、駅からお店から、はたまたクリニック内、音のない場所を探すほうが困難で、日本の方はこの環境で自分を保てているのだろうか?とよく思ったりする。
あまりの音の多さに耳が麻痺を起こすような感覚さえ覚える。
それプラス、イヤホンをつけて歩く若者たち。
何に飢えているのだろうか?
音????
情報???
正直、音楽をやっていく上で一番いらない要素だ、と思う私が変なのか?
美しいものを異常なまでに追う日本。
完璧な美しさは見惚れるけれど、
私は完璧にはない部分に魅力を感じる。
デジタルで細部まできっちりと見える写真、それにはそれの魅力がある。
でも、一昔前のカメラマンの切り撮った作品に心動かされるのは何故だろう?
それは後からの修正もなく、その瞬間、生きている時間をフィルムに収めたから心を鷲掴みにされるのではないだろうか?
音楽もそれと同じに思う。
ショパンの練習曲は、練習曲であり練習曲ではない、芸術だと思う。
だからこそ、その人が出る。
そういう演奏したいですね。
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