感覚
日本にいる友人(ピアニスト)とメッセージでやりとりしている事で、ここ最近躊躇に思う事。
感覚。これは人間の持つ五感がいかに敏感か、という事。
味覚。
こちらイタリアで食す何気ない物、例えるならパンやパスタ。毎日食べるものであり、日本でも普通に食すことが出来る。ドイツでいえば黒パン、これも日本でも食べられる。
ところが、こちらヨーロッパで美味しい!と思って同じ期待を持って日本で食すと何か違う。
パスタも同じ材料で同じレシピで作っても、何か違う。ちなみに私は日本でイタリア料理は作らないことにしている。以前日本で家族にイタリア料理を用意したらあまりの味の違いにショックを受けたから。同様、イタリアでは極力日本料理は避けている。これまた同じ理由。
嗅覚。
これは空気自体が全く異なるため、ものすごい違いを感じる。湿度の関係はものすごく影響があると思う。実際普段感じている嗅覚は、その土地での気候と混じり合って結成された臭いであることを踏まえて感じ取っているものだろう。生まれ育った土地での嗅覚は、おそらく一生体の中にあるだろう、と思うことしばしば。
視覚。
これについては私はまだそこまで敏感ではない。ただ見える見えないではなく感覚、という視点からすると目の中に映る風景なども影響してくるのではないかと思う。
触覚。
これはどちらかというと体性感覚の一つに分類されるように、少し上記の感覚とは違う見解が必要かもしれない。
聴覚。
音楽をする者にとって最も敏感な部分だろう。ただここで言いたいのは単にどう聞くかではなく、他の要素が影響しながらどう聴こえるか?という部分。
楽器を演奏することで感じるのは、気候が異なることで音の鳴りが全く違うということ。ピアノという楽器に関していうならば、欧州仕様と日本(アジア)仕様では材木の乾かし方から異なるように、そもそも楽器が異なる。同じ工程で製作されていてもだ。でも私が感じるのはその異なりではなく、置かれている環境によって音そのものの質が変わる、ということ。
当たり前じゃない、と一言では片付けられない。
なぜって、それにより解釈も構築もまるで変わってくるから。
ここが問題だ。
次に控えているリサイタルに向けて1月日本で行なったプログラムを再演するのだが、いざこちらイタリアの我が家にあるスタインウェイピアノで日本での解釈、構築で演奏するとまるで違う響きが生まれる。スタインウェイに限らず、我が家の他の3メーカーのピアノで弾いてもやはり同じことを感じるんだから楽器のせいではないと思う。
ん〜これじゃ通じないなぁと。必然的に演奏解釈を変える必要性を感じた。
音質の選択から、タッチの選択-これはもしかすると触覚に値するかもしれない-、響きによるダイナミクスの幅、フレージングの繋ぎ方とありとあらゆる要素を調整し直しする必要があると感じている。
それもこれも全て聴覚がサイレンを鳴らしているのだ。
そう考えると、日本でのリサイタルと同じプログラムだけれども、まるで異なるアプローチでの演奏になると思っている。
それはそれで面白いが、ドミノを倒して壊し、もう一度最初のコマから立て直すような作業だ。。。。気が遠くなりそう、、、、、
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