日本人に厳しい日本人



こんにちは。

音楽家の純子マッサーリア

Junko Massagliaです。




ここ最近というか、今月はこちらイタリアでそそくさとコンサートへ足を運んでいます。



何よりもありがたく思うことは、

本物の、世界の第一線で活躍している演奏家たちを

日本のチケットの何分の一の値段で聞けることです。

しかも、日本で一流アーティストが来た時の大きな2000人を超す大ホールではなく聴く、

これが大きな違いかもしれません。


ステージから10列前後の席でさえも、当日に買えることは一般的ですし、

それがしかも3000円弱から、うまくすれば無料券の時もあります。



この間聴きに行ったゲルシュタイン氏によるラフマニノフのパガニーニ狂詩曲。

2月12日と13日の2日間同じプログラムでしたが、12日はイタリア国立放送局の収録も兼ねていたそうで規律正しい演奏というか、翌日私が聞きに行った13日の台風の目のような演奏と12日は全く違ったそうです。


なんとなくですが、日本に来る海外アーティストたちは、この12日のゲルシュタイン氏の如くハメを外すこともなく、比較的批判されないような型の中で演奏をしているような気がしました。

もちろん、確実性という面からしたらそれは間違えのない形ですし、自分の評価を安定させるために必要な術でもあるように思います。


そしてそれらを聞いている日本人は、一流アーティストとはハメを外すことのない、確実性を持って、安定しているアーティスト、を指差す傾向があるように思えてなりません。






では、日本人は日本人をどのように評価するのでしょうか?




海外のアーティストが、日本人の考えつかないことをやってのけたとします。

その人が一流だった場合、『誰それだからできるこの自由さ、個性だよね』となる。



同じような状況を日本人がやったら?

海外アーティストを評したようにはならないのが一般的でしょう。



日本人は日本人に厳しい、のです。

なぜ同じ国籍のアーティストを讃えられないのか?

なぜ日本人の場合、違うことをやっていたら”間違え”になるのか?




それは多分、自分たちの西洋音楽への知識や文化背景が薄いことからくる

存在意識の問題のように思います。

自分の知らないことに対して、自信を持って自分の意見を言えないから、批判する方向へ舵を切ってしまうのではないでしょうか?



例えですが、私が勉強を始めた大曲について色々と調べていました。

普段YouTubeはほとんど見ないのですが、左右の手のどちらを使うのか?という疑問でさまざまなビデオを見て聞いていた時に思ったこと。

世界的なピアニスト(もちろんのことながら日本でもよく知られている世界最高峰と呼ばれる大家)の演奏を見ていたら、音は外すし、弾きにくい音は”省いて”いるし、これあり???という場面がいくつかありました。




間違えは私は気にならなかったのですが、音をここまで省いていいの?というのが一番興味深かったです。

でも、これ、世界のどこでもこうして演奏するのかしら?と思ったわけです。

日本でやったら、大家なら『調子悪かったのかな』となり、普通のピアノ弾きがやれば『こんな難しい曲、やはり無理があったのでは?』と言われるような。



でも、大家も一人の人間です。

人間だからこそ生み出すことのできる再現芸術=クラシック音楽を

私たちはもっと普段から普通に取り入れる環境ができなければ、といつも思います。

完成度だけが一番大切なのではない、そこに生身の人間が音の中に共存しているか?

それこそがクラシック音楽の醍醐味なのではと思います。





そのためには、やはり


生演奏を聴く必要がある、としみじみ感じます。







色々な色に見えていい。

万華鏡のように。




ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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