トリノ鑑賞室〜モーツァルト


キリスト教では今週末から来週の月曜まで復活祭(イースター)。

通常ならイタリアでは復活祭を祝いヴァカンスに出る家庭が多いが、今年は世界中でのパンデミックで静まり返っている。



ならば、我が家の鑑賞室で心安らかになろうではないか。



今日のメインは

モーツァルト
ピアノ協奏曲Kv.467 ハ長調




数週間前だったかサリエリのピアノ協奏曲を聞いたばかりなので、今回この歴然とした作品の完成度をやけに感じる。



無駄な音が一音もない。



もし普通にモーツァルトだけを聞いていたらこれほどの驚きはしないだろうと思う。
だって、これが普通だと思わずともあまりに自然だから、当然考えもしないだろう。



サリエリのあの余分な音や旋律の不要な繰り返しの後に聞くモーツァルトは、あまりにも強烈に天武の才を感じずにいられない。
なんというか、信じられない完成度なの、、、



よく音楽家の間で言われる
ベートーヴェンは天から降りてきた作曲家
モーツァルトは天の作曲家
とはよく言ったものだ。

人間が作ったとは思えない無駄のなさ。
こうして簡単に言葉で書くとあまり重みを感じられないかもしれないけれど、とにかく???????だらけの音の選択。どうしたら人がこのように音を配列できたのか?



奇跡。




でも、モーツァルトの曲はこの曲に限らずその完成度が人間業でない。



恐るべし
モーツァルト。







ピアノ弾きの覚書

ピアニスト 純子マッサーリアの覚書き、ひとりごと、演奏会情報など、気ままにつづります。

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