生徒からプロフェッショナルへ
ここのところ生徒のシーズンになっています(ほぼ主人の生徒)。
今月は3人がリサイタル、今日はドイツのオーケストラの鍵盤奏者オーディションの録音。
みながそれぞれ成長しています。
その度に今後それぞれをどのように、どの方向に育てるべきか考えさせられますね。
基本的に思うのは、今のジェネレーションは弾くことにあまり苦労しないんですね。
今日のオーケストラ用の鍵盤楽器のパートだって、ペトルーシュカ(ストラヴィンスキー)や中国の不思議な役人(バルトーク)。決してオケスタだからといって容易なんていう代物ではありません。オケスタはとにかく一枠のためにするオーディションがほとんどなので、簡単に受験者を落とせる難しい物が課題になるのが常です。
でもね、サラッと弾けちゃうの。
器用なんだなあ〜と感心。
反してソロ課題のベートーヴェンとか、あれれ?これは、、、、?と。
最近は、ベートーヴェンまで行かなくとも、ショパンでさえあまり勉強しないで近代のそれっぽい曲を学んで大学終わり、という生徒も多いようです。古典やロマン派音楽より近代の方が楽だ、と。形式に拘らないで音さえ合っていれば形になりやすい近代以降が気が楽だ、というのです。
これは現代の生活習慣も関係しているように思います。
時短でいかに形にして仕上げるか、という感覚。
わからないことがあれば、スマホやタブレットで瞬時に検索し「ああ、そうか」と終わる。
それらがなぜそうなったのか、その経緯は、その背景は、、、と紐解くことをあまりしない傾向があります。
そしてそれが音にも出るんですよね。
基本的に大事な本番前のみ私がレッスンをすることが多いです。
でもよくあるのは同じことを伝えるにしても、いつもと違う先生に言われると生徒が理解することが多い、ということです。
なので、私は自分の生徒さんが他の先生のレッスンを受講することに対してもあえて止めません。
違う表現で言われて気づくこともあるからです。
どんなレベルであっても、生徒本人が成長を実感できるように指導することが大切ですね。
人によってレッスン内容は全く違ってきます。
弾く、という実践の方法を伝える時もあれば、
弾くこと以外のことで考える時間を与える時もある。
生徒にこちらが弾いて聴かせることを中心にする時もあれば、
私からは言葉だけでそこから生徒の芸術性を引き出す時もある。
難しいですね。
プロフェッショナルになるまで、道は果てしなく長く、終わりがないことを覚悟できた人のみが成長する。
近道でプロになる人はいない。
困難な道を自ら選び目指すものだけが、到達する景色がある。
その時は小さくても、本物は必ずいつか人目に留まる。
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